ふと思い立ったので、『一月一善』を始めてみました。
一月一善(ひとつき いちぜん)とは
『一日一善』という四字熟語があります。
一日一回は善い(良い)ことをしましょうという呼びかけです。
素晴らしいことですね(´▽`)
僕は基本、家の中で生活しています。
何か一善しようとすると家を出ないとなかなか難しいです。
「善いことをする」ハードルが、ちょっとだけ高いです。
「ゴミ拾いするために家を出る」
それも良いでしょう。
でも毎日やれるだろうか。
おまけに 病気のせいで、毎日継続して動ける自信がありません。
なので、思いっきりハードルを下げて「月に1回、善いことをする」にしました。
そのうち頻度を上げられるなら上げればヨシ。できないならそのまま月に1回でヨシ。
2023年の目標は「ハリキリ過ぎず、調子を維持する」です。
まずはこのくらいから始めてみましょう。
始める動機
「無敵の人」と言われて凹んだ
僕はあまり性格がヨロシクなく、アリの巣を見つけると突っつきたくなる人間です。
先日それが災いし、注意喚起のつもりで言ったことでヘイトを集めました。
最終的には名指しで「無敵の人」扱いされました。
現代で「無敵の人」の意味するところは「背負うものがない人」ということであって、つまり「お前は無価値だから言えるんだろ」と返されたと感じたのです。
僕はかなり凹みました。
人間の価値とは
数日、凹んでから考えました。
いまの自分は、確かに無価値になってしまったのかもしれないな、と。
ここで自分に価値を見出したいという欲が生まれました。
自分の価値ってどうすれば発生するんだろうか。
……誰かのためになることをすれば、自分に少しは価値が生まれるのではないか?
そう、とても俗な理由です。
自分のためです。下衆いと思います。
でも、やらない善よりやる偽善です。
ということで、月に1回は「善いコト」をしてみようと思い立ちました。
なぜ公言するのか
ブログに書くし、動画にもする
ここまで読んで「黙ってやれよ」と思う人もいるかもしれません。
でも僕はこうしてブログにも書くし、動画にして投稿してみようかなとも思っています。
良いコトは黙ってやるのが美徳、というのは確かにそうです。
でも公言することでプラスになる面もあります。
「やってみようかな?」と思う人が増えるかもしれない。
ブログや動画を通して「やってみようかな」と思う人が出るかもしれません。
いろんな”善”を考えて実行してみたいので、「お、そんなことできるんだ」ということもあるかもしれません。
1つのブログ記事や動画であっても再生されればそれだけ関心を広めるチャンスになります。
つまりそれだけ「善いコトが広がる」可能性があるワケです。
善いコトが広がるのは素晴らしいコトです。
それに伴い、僕の価値も上がります(笑)
(僕の好感度が上がるかもしれない)
ハイ、下衆い(´_ゝ`)
まとめ
月に一度、明確な善を働き、公表していこうと思います。
完全に偽善です。
それでも良いじゃないか。人間だもの。
ちなみに偽善について意味を調べたら面白いサイトを見つけたのでご紹介します。
僕は間違いなく達磨大師に「無功徳!」と一喝されるでしょうね(笑)
それでも良いじゃないか。やってみようぜ。
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