【僕がAIに望むことは「僕の代わりに表現してくれ」じゃなくて「僕が表現するためのノイズを消し,ハードルを下げ、邪魔を減らしてほしい」ということだ。】
これは今の所感で、今後変わることもあるよっていう前提で。
生成AI自体にいろんな考え方があるのは承知してて、倫理的な問題もそう、著作権とかそういう権利的な問題もまだ決着が着いていなさそうという前提で。
僕のAIとの付き合い方の原則はしばらく
生成AIが作ったものを「そのまま自分の表現物として公開はしない」。
これになるのかな、と思います。
そしてこの先いろいろと書いてるんですが、要約すると
- 画像や動画をAIに生成させて、それを自分の作品として表に出すことはしない。
- テキスト生成AIは使うし、利用していることも言う。ただしAIが生成した文章をそのまま僕の文章として出すということは無い。
- コード生成AIは使うし、利用していることも言う。ただしAIが生成したコードの中身は自分が責任持てないので参考として公開することは基本的にはしない。
というところに落ち着くと思います。
ここだけだとバラバラの基準っぽいけど、最初に書いた原則から外れているとは思っていないし、僕の中では筋が通った話になっています。

生成AIに何をさせるか
画像生成AI
よくある「画像生成AIで出てきたイラストや写真を使う」っていうことはしない。
僕が画像生成AIを使うとするなら「裏方として」だ。
というのも、画像生成AIの線引きがまだよくわかってない。
写真の背景切り取りは画像生成なのか?
ノイズ除去は?
画像認識は?写真データでのターゲットを人間がわかりやすくするために枠表示をさせたりは?
3Dモデルを合成したら画像生成か?
僕はその辺りの区別がついてない。
だからこその「使わないじゃなくて、そのまま表現にしない」ということだ。
これらは画像、つまり目に見える部分にAIの手を借りてはいる。だけど僕の表現そのものを投げているわけではない。あくまでも裏方だから使うと思う。
動画生成AI
動画生成AIは、正直ちょっと見てておもろい動画が流れてきたりするので気になっちゃうところではある。
たぶん僕が動画生成AIに求めているのは手づかみでスパゲッティを食べるウィル・スミスであって、お上品にフォークを使い始めたらそれは特に価値がない。ウィル・スミスが出てる映画を観ればいい。
そしてポン出しの動画は出てきたものを編集するのが画像に輪をかけて大変すぎる。
どちらも人間が作るときはレイヤー構造になっているんだけど、動画は「あ、これちょっと違うな」ってなったときにその「ちょっと」を直すのが大変ぽい。
ただ動画っていうのも細かく区切ると「画像の連続」でもある。
だから動画内のノイズ除去や画像認識,3Dモデル合成などは画像単位で可能で、結局それが繋がって動画になる。そういった裏方作業では活用すると思う。
テキスト生成AI
テキスト生成AIについては、これがないと人間と機械のスムーズな会話が成り立たないんだよね。だからテキスト生成AIに関しては「機械との会話をスムーズにするためのツール」と僕は捉えている。
電気のON/OFF➡数字の羅列➡アセンブラ➡C➡JAVA➡Python➡・・・➡AI
みたいな。細かい所は突っ込まないでねw
これも最初に書いた、
生成AIの制作物を「そのまま自分の表現物として公開はしない」
に基づいてる。
そしてもうちょっと裏方としても使う。
人によってはその返答でブログ書いたり小説書いたりするわけだけど、僕はそれをしないとここで明言しよう。そんなんやったら一瞬にして「その人じゃなくていいよ」になっちゃうからね。自分の表現物としての公開はしないっていうそのままの意味だ。
ただ、文章の校正や言いたい事の整理,調査なんかには使う。
これはその内容をそのまま表現として出すものじゃないからだ。
今この記事も「やべぇ、書いててどういうことか伝わらないんじゃね?」ってなって、何が問題なのかをAIに聞いたりしている。まぁ言いたいことがなんなのかわからない文章っていうのも味ではあるかもしれないけど、そういう文章が出るときはそもそもAI通さないでワーって書いて出しちゃうと思うw
コード生成AI
これも「コードそのものを見て!参考にして!」という感じではない。
先日公開した記事で「中身はこんな感じです」って記事内で紹介したんだけど、それは取り下げた。僕が作ったものではないし、そもそも重要なのはそこじゃないので。
僕がそういった記事で見てもらいたいものは「こういうアプリを作りましたよ」「こういうツールを作りましたよ」「こういう思想で、こういう機能が欲しいからこういう設計したよ。その結果これだけ改善されたよ」という部分だ。
だから裏方,ツールとして捉えているので、実装部分をAIに手伝ってもらうことには現状あまり抵抗がない。
自分で作ったと言える部分に対する責任
僕みたいにいろいろ書いたり描いたり喋ったり作ったりしてる人間としては「使いません」というより「使った物をそのまま自分の表現物としては出しませんよっていう宣言が必要かなって。
生成AIでの成果物を、説明もなく自分の成果物と混ぜちゃったら、今後自分の成果物を信用されなくなっちゃうよね。自分の作成したイラストが、動画が、文章が、生成AIに投げて作りましたって思われたら泣いちゃう。だからこその宣言。
画像では「僕が描いた画像だよ!」に対して責任を持ちたい。
動画では「僕が作った動画だよ!」に。
文章では「僕が書いた文章だよ!」に。
コードでは「僕が書いたコードじゃないよ!僕はコードを使ってこういうことをしたい、こういうことをしただけだよ!」に。
そこの線引きが大事かなって思ってる。
画像や動画って、パッと出てくる情報量がめちゃくちゃ多い。自分で時間をかけて作っていればその間にいろいろ考えて判断できるところを、AI生成でできたものだと完成後に一気にチェックしなきゃいけない。僕はそんなとこまで手綱を握れる気がしない、というのも理由の一つだ。
コードに関しては、詳しくないなりに「AIが書いたコードで起きた動作でやらかしたから知らないよ!」という責任放棄はしたくない。なんなら知らないのでできる限りの安全策はとっていきたい。だって知らない事って手綱握れないから怖いやん!だからこその自分への枷なのかもしれない。
2026年8月あたりからは活用してると思ってもらっていい。先日もプラグインを作ったっていう記事を書いたけど、あれもコード生成AIに作ってもらった。僕がめっちゃコード作成ができるわけではない。
なんでそんな話をしたかっていうと
AI利用を本格的に始めようと思ったからですね。
イラストや動画、ブログなどいろいろ出したい物はあるけど、それぞれちょっとしたひと手間がある。クオリティは変わらないかもしれないけど、僕が脳内を出力するのに摩擦が減る。速度が上がる。ストレスが減る。結果、出したい物を出しやすくなる。そのための裏方ですね。誤字脱字なんて上から下まで見ても見落としてる。インタビュー記事も「やっとできたー!」と思ってインタビューした方に内容を確認していただいたら「うーむ、まず誤字脱字が……」てなった。これは良くない。
僕がAIに望むことは「僕の代わりに表現してくれ」じゃなくて「僕が表現するためのノイズを消し,ハードルを下げ、邪魔を減らしてほしい」ということだ。
Xの投稿でも「イラストレーターの私がAIに望んでいたことは、私の代わりにイラストを描くことではなく、私の代わりに洗濯とか掃除をしてくれることだった」みたいな意味合いの投稿を読んだことがある。まさにそれだ。そしてまさにそれを実現したい。
僕が何か作るまでの面倒ごとをAIにぶん投げたい。
僕はやりたい事と、責任を持つべき事だけやりたい。
なんならAIにお願いすることへの摩擦すら減らしたい。
皆さんご存じの通り、僕は整理整頓が苦手だ。それはアナログでもデジタルでも。
探すのも苦手だ。
家事だってお願いしたい。
数年おきにサービスが終了するアプリに依存した管理とかについて考えるのも摩擦だ。入力も摩擦だ。
そこで今、新たな、恐らく長めの規模で取りかかろうとしてることを始めた。
オリジナル「統括AI」の作成

これをブログや動画でコンテンツ化していきたいので、改めて整理しようと思ってこの記事を書いた、という次第でございます。
詳細は別途記事で書こうと思うけど、うまくいくかわからない結構長期的な企画?プロジェクト?になると思います。簡単な説明だけすると「僕の創作のための摩擦を取り除くためのAI」を作るということだ。
統括AI作成にはもちろん既存AIを活用する。
だけどそれはここまでの思想というか考えに対して矛盾はないと思う。
どうぞ、ご理解……できるかはわからないけど、ご承知いただければと思います。では!

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