離婚関係について綴るのはもしかすると久しぶりですね。近頃は配信活動を始めたおかげでブログを読んでくださる方もいたり、その感想をいただける機会があったりとブログ書く人間としてはありがたい環境です。
特に配信の中で離婚が話題になる機会がたまにあったので、結構身近に触れてるテーマになりましたね。
ちょうど精神的にも一区切りついてきたところで、子供たちからのお手紙が届いてテンションが上がっているので、現状の確認と振り返りをしてみようと思います。
一応言っておくと、ネガティブな記事ではありません。たぶん(笑)。
僕が離婚や病気などの話をこうしてブログに書いたり配信で話したりするのは、同情して欲しいからではありません!してくれるならしてくれても良いけど!(笑)
似た体験をした人に役立つポイントが何かあるかもなぁとか、自分の記録として残しておきたいなぁとか、そういう気持ちです。
離婚について
以前の記録をしたときを振り返る
まず≫最初に書いた離婚の記事を見て驚きましたが、もうあれから3年半も経つんですね!いやぁ時が流れるのは早い……というか最初の1年くらいは記憶怪しいレベルで錯乱していたので、当時はよくブログ記事書けたなぁと今更ながら感心しつつ、なんとか言語化して頭の整理をしたかったんだろうなぁというのがわかります。
インターネットという誰かの目に触れる場に文章を出すゆえに全消しリライトを3回以上は繰り返して、マイルドにマイルドに、暴言を頑張って消して抑えて、自分を納得させるために半ば無理やり記事を公開した覚えはあります(笑)。なんでネット上に公開したかって?見えない誰かに打ち明けている実感が欲しかったんだろうよ!きっと!知らん!w
今は誰かの役に立つかな~と思っていろいろ書いてますけどね。
そんな頑張って自分を納得させようと努力してる最中に≫またいろいろあって(笑)、少し自暴自棄的ではあるものの確かに前進しようと頑張り始めました。いろんなパーツもげてるけど進もうとしてる、みたいな。あれ?なんか亡霊みたいじゃね?www
まぁ離婚についてはなんとなく消化はできています。元妻にもあれ以上長く苦しませずに済んだし、僕もまだそれをバネに成長する力のある年齢だったのは良かったです。トラウマだから再婚はしないけど!
子供たちについて
以前の記録~現在までに起きたこと
あれから数ヶ月に一度、子供たちに会いに遠征していました。
その際に子供たちの手前、仲良しな大人を演じたり、演じきれない元妻に苦笑したり、重箱の隅をつつくような面会上の指摘事項に悩んだり、……子供たちに困るというより、それにまつわる大人の事情に反吐が出る思いでした。疲れのメインは大人同士のやり取りでしたね!
子供たちについては、僕と会うのを楽しみにしてくれるのは嬉しかったり、お別れの際に毎回ギャン泣きさせてしまう罪悪感で苦しんだりということはありました。大人の都合に振り回してゴメンねと、滞在先のホテルで呟き続けたり……。
そして今年の6月。
面会時には何時にどこ(駅・施設・立ち寄った飲食店)に着いたか、何時に出発したか、何を食べたか、臨機応変に変更したら全部予定を送らないといけないとか、双子と一緒に行動しながらすべて連絡しなくてはならなくて、いくつかコンプリートできなくて怒られ。
子供たちの写真や動画を撮っていたら予想より早くバッテリーが少なくなって、連絡取れなくなると困るから定期的に電源を入り切りしますと伝えたのが逆鱗に触れ。
子供たちとの行先も選択肢が少ない中悩んで提案した場所を「今度行くことにしたからやめて」と言われたり(先に言ってください)。
面会できる日を聞いたら「明日・明後日以外は今月無理です」と、わかっていただろうに教えてもらえなかったり。
クリスマスプレゼント捨てられてたり。
子供たちの書いた年賀状が半年後に送られてきたり。
細かな制約と嫌がらせが面会するたびに増え続け、毎回「これ以上は会わせられません」的な口撃に耐えてたんですが。さすがに協力的でない大人の事情方面で精神的に限界が来て『子供たちに会い続けて更に病むか、もうこれ以上耐えきれないので小学校に上がったタイミングで面会を断念するか』を秤にかけて、面会断念を選びました。
そう、僕は自分で面会断念を選んだのです。面会は子供の権利ですが、それを盾に大人にいびられ続け精神的にも体力的にも限界でした。
もちろん、ものすご~~~~く葛藤しました。だけど、僕は選択したのです。
考え方の変化
そもそも、あちらでは既に再婚した新しい家庭が出来上がっています。いろんな感情を取っ払って今の子供たちが置かれている環境を考えてみると、はてさて僕という存在がノイズにならないか?これ以上介入して引っ掻き回すのは僕のエゴじゃないか?とか悩み始めました。
もしも将来「お父さんはなんで離婚したの?」と聞かれたときに、
- お父さんが原因だよ→お父さん嫌われる
- お母さんが原因だよ→あっちの家庭が壊れるので言えるわけない
- なんでだろうね~?→大人は大事なことはいつもはぐらかす!
になってしまうのは想像に容易いです。この中で一番子供たちにとって幸せなルートは1.だと思われるのです。なぜかと言えば……僕のことは良いように伝えられていないからです(笑)。そのあたりについては、これまでの面会で子供たちの言葉の端々から予想することができました。
「お母さんはお父さんが嫌い」とか「お母さんはお義父さんが大嫌い」とか言うなよ!子供たちが「お母さんには言っちゃダメって言われてるんだけどね……」て言いながら打ち明けてきた時の子供たちの心境とストレスを原稿用紙100枚で述べよ!!!
まぁもしものもしも、将来の将来も子供たちが僕のことを慕ってくれていたら、3.をじょ~ずにこなすのが正解なんでしょうが……そうなったらこのブログから離婚関係の記事は消えるのでご了承願います(笑)。
子供たちの幸せを考えて自分の腹を切れるようになった
何が言いたいのかというと、今までよりも一層、子供たちの立場でものを考えられるようになったのかなぁと。
今までは「将来もお父さん(もしくは親戚のおじさんでもいい)として慕ってもらえるように頑張るんだ!」というのがモチベーションでしたが、現在は「もし子供たちから忘れ去られても、嫌われても、それが子供たちの幸せにつながるなら本望だなぁ」と思えるようになってきたんです。
自己犠牲に酔ってるんじゃない?と言われたら「いやいや僕も叶うなら良いお父さんって思われてたいよwwwそのルート通りたいwww」てなります。ただ単純に、あちらの家庭が子供たちのベースになっていて、そこの居心地が良いというのは大切な事で、決して安心できる居場所を奪ってはいけない。
「僕が代わりに居場所になってあげるよ!」は思いません。それこそがエゴです。僕が居場所になるのは、子供たちの居場所があちらに無くなってしまったときだけなんです。
いつか子供たちと珈琲を。
そんなことを言いつつも実は……。
今の生活のモチベーションは、子供たちと交わした「大人になったら一緒に珈琲飲みながらお話ししようね」という約束です。たぶん子供たちはもう覚えていません(笑)。
でも良い雰囲気の喫茶店で、成長した子供たちと珈琲や紅茶を飲みながらゆっくりお話をする。そのときに「もっとお父さんの話聞かせてよ!」と言わせたいし、「おもしろい話はたくさんあるから、また今度な」と余裕の笑みを浮かべながら席を立ちたいものです。
渋い、イケてるおじさんにならなきゃね。
ひとつだけとても後悔していることがあります。
最後に子供たちとにっこり笑顔で別れられなかったことです。
最後に会ったときは面会を辞めるつもりはなく子供たちとバイバイしたので、別れ際に今までになく娘がギャン泣きして……服破れそうなくらい引っ張って、改札を抜けるのが大変で……。
息子はそんな娘をなだめていて。
お別れの時は、いつもどちらかがギャン泣きして、どちらかがなだめているんですよ。
素敵な兄弟です。ホント。
でもその数回前から、お別れする駅に着くまで「お父さん、またね~ってするとき二人がニコニコしてる方が楽しいし嬉しいから、今回何が楽しかったかお話ししたり、次会うときにどんな楽しいコトするか一緒に考えようね!」とお話ししたら、なんとか泣かずにお別れできるようになってたんですよ。
子供たちって、ほんと大人。
それで改札からホームに移動したら、小さな駅なのでホームは見えにくくなっているものの屋外の大きな声は聞こえてくるんです。
そしたら電車が来る直前まで数分間ず~~~っと娘が「おとうさーーーん!おとうさーーーん!」と叫び続けてて、それを引きずりながらみんなで帰っていくというのを壁の隙間から見ていたのが子供たちの最後の姿です。
離婚して引っ越すとき、何も知らないパジャマ姿の子供たちに「お父さん、お仕事でお出掛けしてくるね」と言って無理やり笑いながらお別れしたとき並に脳裏にこびりついて離れません。
思い出すだけで心が張り裂けます。悔やまれる。ほんとに。ごめん。
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