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思索アイデア

現状のAIについての記録

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言い訳タイム

以前記事にもしたように、僕は考え事を口で呟き、それを録音して【文字起こし、概要をまとめてる】という作業でAIを利用することがある。特にそのときは、このAI利用が何かを侵害している可能性というのは考えていなかった。従来の音声読み取りの試みにおける延長線上での精度向上と捉えていたからだ。

そして文字起こしだが、文字でのAI利用については特に善悪(という区切りでいいのかわからないけど、ここでは仮に善悪としておく)の判断をする前の段階にいたというのが本当のところだ。

PlaudAIを購入したクラファンは2023年10月頃のものだ。購入した時点では、テキストでのAI利用について特に嫌悪感も感じていなかった。

と、ここまでが正直な言い訳だ。

この記事は頭から順繰りに書いているので、そもそも言い訳が必要な結論に着地するのかもわからないが、書き始めた時にまずは言い訳しなくては、と思ったこと自体を記録する必要があるだろう。

画像生成AIとテキスト生成AIで感じることの違い

さて、ここで考えてみたいのは『画像生成AI』の存在だ。僕は画像生成AIについては現状でかなり嫌悪感がある。

これは結論ではなく、現在の判断としては、ということが重要だ。まだ白黒つけるつもりはない。

嫌悪感を抱いている理由については、これまでの創作物のタダ乗りや、創作者へのリスペクト欠如、誤解を招く創作物の量産が可能であることなどが思いつく。

これをもってしてわかるのは、僕が物書きを軽んじている可能性が高いのではないか、というところである。なんともお恥ずかしい。

自分のAI利用はあくまで事務作業としてのテキスト処理として捉えているが、その土台になった数々のテキストがある可能性については、今になって考えればそうなのだろうと思う。そしてそれらテキスト創作者のダメージを考えていなかったということをまず恥じている。それすなわちリスペクトの欠如である。僕の使い方では、自分の脳内を整理して、最終的にそこからまた自分で書き始める。それゆえに関係ないだろうと考えていたけど、これが画像生成AIだったらどうだろうか。たぶんそもそも自分の考えを整理するために使うのにも抵抗があっただろう。つまりテキストに対する敬意が足りない。あぁ、書けば書く程恥ずかしい。

写真やイラスト、漫画などの画像は伝える力が大きい。ブログもSNSも、基本的に画像を添付した方が読んでもらえる。何かの指示書も、文章だけではなく絵図を利用して意思の齟齬がないようにする。それだけ画像に含まれる情報量は多いのだ。

僕はそれを認識しているのに、土俵が画像かテキストかで考え方が変わっていたのだ。僕が普段どれだけテキストの力を侮っているか。テキストの分析ができていないか。身に染みる。

画像生成AIについては、テキスト生成AIよりも情報量が多いため、進化が遅れていた。そして精度が向上したことで生じるリスクは、すでにテキスト生成AIで予測できていたはずのことだったのだ。いや、むしろ既に起きていたこと、と言ってもいい。

テキスト生成AIが発達したときに考えたこと

テキスト生成AIがそれなりに使える確度になってきたときに『あぁ、これから量産型の内容があってるかどうかわからん広告や扇動目的のブログやSNS投稿が増えるんだろうな』とは思った。当時すでにブログはテンプレートに則ったものが多かったからだ。

【ブログ 書き方】で検索すると出てくるノウハウサイトに書かれた通りのテンプレートで書かれた、誰の書いたブログかもよく見分けがつかないような個性のないブログ。

内容が無いくせに最後に「どうでしたか」とか「いかがでしたか」で〆るようなブログ。

そしてお決まりのアフィリエイト貼りまくり(アフィリエイトが悪いと言っているのではないことに要注意)。

これらについて、実際にブログを書いてる身として『一緒にされたくねぇなぁ』と思っていたものだ。自分もブログが誰にも読まれなくて『アクセス解析の結果が自分だけ』というのを長く経験し、量産型テンプレートに頼った時期もあったので、自己嫌悪も含まれているだろう。

そしてその『なんのこだわりもない、個性もない量産型のテキスト』が世にあふれることを憂慮した。

だけど、自分の使ってるAIがそれに含まれるかどうか『考えたかどうか』というと、そこまで及んでいないのだ。

まぁぶっちゃけ、よくわかってなかったというのもある。今も正直よくわかってない寄りである。

画像生成AIが発達してきて考えたこと

そして、当時テキスト生成AIが発達したときにいろいろ考えたようなことを、また考えることができるくらいに、画像生成AIが発達してきた。

結局起こることは同じだ。

恐らくこだわりのない『なんかそれっぽい』画像がたくさん生成され、自らの力で創作したものが埋もれていくのだろう。

テキスト➡画像、と来たら、次は動画だ。数年後、いや今年の秋頃には、生成AIによる動画技術が今よりさらに確度が上がり、同様に『なんかそれっぽい』動画がたくさん生成されるのだろう。

ここで頭を使いたいのは、現状なにが善で、なにが悪なのか、というのは一度意識から取っ払って状況分析してみることだ。

生成AIの時流

海外の情報では、割と僕がセーフだと思っていたOpenAI(ChatGPT)についても訴訟が起きていて、昨年末に著作権訴訟の却下という判例ができたことだ。

内容については割愛するが、訴訟を起こしたのはメディアである。そしてその流れで、メディアは個々に訴訟を起こすのではなくOpenAIとライセンス契約をあらかじめ結んでおく、というものができ始めているのである。

つまり学習元の情報に対価を払って合法的にやろうぜ、ということだ。

今後はこういったメディアとのライセンス契約というのは増えていくのだろうけど、その場合に気になるのは個人の著作物だ。
(画像生成AIがクリエイターから毛嫌いされるのは、個人の画風などを狙い撃ちされることがあるからというのも大きいが、それはまた違う問題をはらんでいるので今は置いておくことにする)

個人の著作物については恐らくライセンス契約はAIを取り扱う会社はやらないのではないだろうか。費用が膨大になりすぎるからだ。個々人の影響力を平均化してライセンスフィーを決めたら、結局は在って無いようなものにもなりそうだ。そうなると個人は著作物を取り扱うプラットフォームに要注意する必要がある。

マクロ的には生成AIは利用が進む方向に傾いている。これは生成AIによるビジネス的メリット、潜在的能力などから間違いないと思う。そうなった場合に、より詳細な情報(これは生成AIの背景だけでなく活用方法なども含む)をしっかり仕入れておかないと、その時代の善悪の概念に合わせた判断ができなくなる可能性があるのではないだろうか……、『嫌だから知りたくない』は、少し無責任ではないだろうか……、など考えたいことは無数に湧き出てくるのだった。

ここまで、生成AIについていま考えていることをつらつらと書き殴ってちょうど一時間半で集中力が切れたのでおしまいとする。


ちなみにこれを書くキッカケになったのは、ChatGPTの画像生成AI機能が大幅に向上したバージョンとなり、普通にクリエイター職がやべぇなと思う作例がSNSに多々投稿されているのを見たことです。

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